fromte’s diary

つらつらと日常を。思ったことを。感じたことを。素直に綴る場所。

いろんな悩み事をみんなそれぞれもっている。



相談され、する関係。


しかし、それぞれ人には受け止められる時というものと。



受け止められる物事というものがあると思う。



例えば、あたしの友達では、刑務所に入ってる昔からの友達に告白されちゃったとか相談されたけどちゃんと受け止めて、相談にのれた。


でも、やっぱり、受け付けれなくて、自分が沈みそうになって無理って無言のうちに拒否してしまうこともたくさんある。



そんなものなのかなぁって思った。




いろんな人生を生きてきて。いろんなことを考えて生きてきて。



たくさんの人の人生に関わってきて。人それぞれ。



だから、なんでも受け入れられることが大きなことでもなくて、すべてはそれぞれで、大きく受け止める、ちいさく受け止めるなんてないんじゃないのかなぁって思った。



ただ人を傷つけようとか、悪意さえなければいいのではないのかなぁって思った。



失敗して、それに気づかさせてくれる人さえいればいいのではないのかなぁって思った。




障害も個性。すべては個性。


こんなこといってると、きりがないけど、すべてはその人で。否定したり、何が悪いとか、評価したりそんなことすることはないんじゃないかなぁって思った。いや、別に評価してもいいと思うし。



それはその人の自由。



何が良くて何が悪いかなんて、その人の立場に立たないとわからない。



もしかしたら、なにか事情があって、人を傷つけてしまった。



その行為は悪いことで、相手には悪いことだと思う。でも、それも相手にとってもあるいみ経験であったりもする。その傷つけてしまった人も、精神的にまいっていてどうしようもなく、そんな言動になったのかもしれない。



答えはないのだけれども。




なにも考えず。じぶんの思う意見をいい。



相手が聞いてほしければ聞いて



自分が聞いてほしければ話せばいいんじゃないのかなって思う。




すべては自然で無理がないのが楽。




きめつけじゃないけど、そんな風に思った。




自分で決めて、自分の性格、性質をよく理解して、後悔することはしないように気をつけて生きていけたら最高かなぁって思った。
ここからは自分のこと。


あたしが病気になったのも、やっぱり今まで無理してきて、ずっと誰にも話せず、隠れて泣いて、ためこんで、それでも前付き合っていた人を支えて、一緒に笑って、泣いて。映画とか見たり。相手のお父さんのお見舞いに行って、もう余命一週間と言われていた。その人の手は血がもうかよっていないように冷たく、それがさらに物悲しくさせた。体には点滴の針が刺さっていて、髪の毛は抜け落ちて。

でも、それもあたしにはなにかを与えてくれた。

そんな中で支えていく大変さ、なにができるか必死で考え、言葉を選び。よかったことだと思う。いろんなことがよかったことだと思う。

親が離婚して、ずっといろんなこと我慢して、一人で息を殺して泣いていたこと。今になって、感情があふれ出した。ずっと甘えたかった。そんなことも、今になって、病気になったからこそ言えた。やっとちいさい頃から思っていたこと、甘えることができた。お母さんに甘えることが出来た。


今でも、一人で泣くことはあるけれども、それでもいつもではない。私と一緒にいてくれる人が居る。困ったら相談する勇気も少しついた。ためこむたちだけど、少しずつ、頼ってもいいよって、頼ってくれてありがとうって言われて涙がでた。嬉しかった。

すべては、あたしのためで、今、生きていることすべてがあたしのためで。苦しいことも、泣きじゃくることも。きっと私のためになる。


きっと、私と言う人間を育ててくれる。


そんな気がする。



だから、私は生きる。


私と一緒に生きて、支えてくれる友達、先輩、恋人、家族がいるから。音楽があるから。


すべてとはいわないけれども、あたしができるかぎりで、受け止めて上げられることは受け止められたらどんなにいいだろう。あたしが、してもらっていることを同じように、ほかの人にも。


そう。だから、私は生きる。