コトバを生きた言葉にする
コトバを生きた言葉にする。
本を読むときにも、口に出すことでコトバは命を吹き込まれたようにエネルギーを持つことがある。
そこには、感情や情景、コトバにエネルギーが吹き込まれるから、一気に動き出したかのように生き生きとした何か別のものに変わる。
頭で考えていた、コトバたちは、文字にすることでも、変化してゆく。どの文字を使うのか。
どんな組み合わせで?
どんな形で?
どんな大きさで?
こうやって綴られていく文字たちにも、私の頭から、目に見えるものになった瞬間に、変化していっている。
誰かに見られることを意識したコトバ、誰かに伝わることを考えて作られたコトバ、誰かに伝える目的のコトバ、投げ捨てられたコトバ。
口に出すと、耳から自分に伝わり、またそれを認識する。書くと、自分の目の前に残り、それを認識する。
自分の頭でふわふわと浮いていたコトバたちは、生きたものになる。
そこから、さらに誰かに話してみる。誰かに書いた文字を読んでもらう。自分の放ったコトバに対して、さらにコトバを受け取る。
誰かのコトバを意識すると、自分のコトバが、どう伝わったのかを考える。自分は何を考えていたのかと、さらに考える。
放ったコトバで、その意味を放った後に認識することすらある。
コトバを生きた言葉にするのは、自分の頭で考えているそれとは、異質な、ものへの変化の過程となる可能性を孕んでいる。