屈託のない笑顔で写真にうつる夫。忘れ物を取りに来ちゃダメだよ☆
2012年頃からの写真がiPhone内にあるので、ぼんやりと眺めていました。
昔になるほど、屈託のない、嬉しそうな自由な笑顔を見せてくれる夫の姿がそこにはありました。なんて、楽しそうな、嬉しそうな顔をして写真に写っているんだろうか。私の向けたiPhoneに、こんな顔を向けていてくれたのかと。
私も、一緒に撮った写真には、本当に、嬉しそうにふざけながら写っている写真がたくさん。こんな、時間がたくさん積み重なって今があるんだなと。ふっと、嬉しくなりました。
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五島列島に行く予定だった昨日。
荷物をまとめ、さぁ出発しようと思った時に、
「一応、尿検査をしてから出発しよう」
と思い自己検査をしたら、2+。いや…3+?
1時間くらい葛藤をして、その間に検査用紙を6回分使いまくり、一時的なタンパクのアップ、簡易検査だから何かの間違い、ということを祈って、救急へ向かいました。旅行の荷物を車に乗せて、行けることなら、そのまま電車に飛び乗って飛行機に乗ろうと思って(自覚症状はまだ出るほどではなかった)。
病院について、救急へ。
すぐに尿検査と血液検査をして、検査結果を1時間待ちました。タンパクは3+。しばらくして、腎臓内科の先生が他の手術?で忙しい中、飛んできてくれました。
「再発ですね。」
旅行に行きたい気持ち、少しでもマトモになった顔で友だちに会いたくて、思わず涙がポロッと流れてしまいました。発症してから、1年。自分のご褒美でもあり、支えてくれた人に会いたい気持ち、綺麗な写真を撮って、色んな人に喜んでもらいたい、そんな気持ち。私と一緒に旅行に行く友だちと、本当に楽しみにして、たくさん調べて計画した旅行でした。
すぐに悪化するものでは無いけれど、ほかっておいたら、身体に水が溜まるのは歴然。下痢もしていたので、胃腸も浮腫んでいて既に調子が悪いであろうことは予想するに容易いことでした。数日前からは、靴下の後がつきやすい、目が見にくい、そんな些細な症状があって、旅行が楽しみすぎて、やや寝不足だったのもあり「疲れかな?」っておもっていたんです。
パズルがハマるように、再発のピースが合わさりました。
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一緒に旅行に行くはずだった友だちには、救急にかかる時点で1度連絡済。フルネームを伝え、キャンセルの電話を頼み、私しかキャンセルができないものは、キャンセルをしました。
心電図、レントゲンをすぐに撮られました。その場で、点滴の留置の針も刺されて、動きが取れない状態に。混乱の中にあったので、夫の職場にも電話。昨日は夫は、当直の予定で、昼間働いてそのまま泊まりで仕事の予定だったのです。
迷惑承知で、1人で処理しきれなくて混乱している旨を伝えて、「ごめん」と謝り。
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主治医の先生からは、
「すぐに入院出なくてもいいけど、明日でもいいし明後日でもいいし。でも、放っておいたら、また浮腫んで前回と同じ状態になりますよ。」と。
うん。わかってる。
すごく分かってる。
だから、救急に来たの。
1週間くらいなら旅行に、友だちに会いに行けるんじゃないかって、何度考えたか。なんで、先月行かなかったんだろう、なんて後悔が、ぐるぐる。わかってる。わかってるの。
放っておいたら、苦しむのは自分。こんな状態で会いにこられても誰も嬉しくない。そうやって自分を納得させて、
「入院でお願いします。旅行カバンがあるので、荷物取ってきてもいいですか?」
と、頼み、車から荷物を取り出して、そのまま昨日入院しました。
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夫は、仕事を変わってもらい、早くに上がってきてくれ、混乱している私の代わりに、身元保証人(実家とは絶縁しているので夫の両親の連絡先)などの書類を書いてくれ、不必要なものを持ち帰ってくれました。
また、必要なものを買い出しに出てくれました。
買い出しに夫が出て、少し気が抜けて、涙が止まらなくなって、大部屋だから声を殺して涙を流しているところに、忘れ物をした夫が戻ってきました。涙、我慢してたのに。忘れ物取りに戻ってきたらダメだよ。
反則だよ。
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旅行前に気づけたのはラッキー。症状が酷くなって歩けなくなったり、食べれなくなったり、座っていられなくなったする前に気付けたのはラッキー。
前の入院も、高校時代の親友が突然死したお葬式の直後に再発。お葬式に出席することができてラッキー。
初発も、休職中、友人の結婚式に出れたあとの入院でラッキー。全然ラッキーじゃないけど、命を守られている感じがする。まだ、生きてって、今日、今、つらくても、明日つらい保証はない。幸せな保証もないけど、つらい保証もない。
だから生きる。
私には、大切な大好きな人達がたくさんいるし、
「また会おうね!」
と、関東のニコニコ時代のセッション仲間は握手してくれたから。会いたいと思う人、思ってくれていることを伝えてくれる人がいるのは、私にとって、支えなんだ。
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最初にも触れたのですが、夫は、
結婚前から、色んな理由で、何度もぶっ倒れている私
と家族になってくれた。そして、一緒に暮らす家を建てたいと思ってくれた。
離婚の危機もあった。こんなにも容姿が変わってしまったのに、薬でこころが、ぐちゃぐちゃになっていることも多いのに、一緒にいてくれる。何故だろう。これからも、どれだけ入退院を繰り返すのかわからない、副作用で顔が元に戻るのかもわからない。
焼きたてのメロンパンのように、パツンパツンになっている私の顔を見ても「可愛いよ」と、頭を撫でてくれる。今日も「〇〇ちゃんは、悪くないからね。」とふと、突然に言われた。
綺麗でもなく、可愛くもなく、こころも不安定で、副作用で働けない私となんで一緒にいてくれるのだろうか。切り捨てて、他の人と一緒にいる選択だって出来たはず。私からも、酷いかもしれないけど、そうやって声掛けていた。
夫には夫の人生があるから。私には私の人生があるから。
また、屈託のない笑顔で、2人で写真を撮りたい。
泣いておきたくて、Aimerさんのblancを聴いている、入院2日目の夜。
また、綺麗な姿で、夫の隣に立っていたい。
自由な、楽しい時間を、夫と一緒に過ごしたい。
泣き虫は泣き虫なりに、工夫して泣いてるの。忘れ物取りに来たらバレちゃうじゃないのよね。
ここまで読んでくれてありがとう。